ておくれか

小さい街で暮らすぼくたちは、学校から帰ったら犬の散歩をしていた。あのこがリードを、僕はうんこの入った袋を持っていた。小さな街だから、散歩のルートは近所の空き地を通って駄菓子屋を抜けると海につく。そこをくるっと回って犬のハナがうんこをしたら帰ってくる。あのこは近くに住む同い年の女の子で、高校生になった今でもこうしてハナの散歩をしてくれる。CDしか聴けない僕の家とは違ってあの子の家はカセットとラジオしか聴けない。最近出来た中古の音楽のお店、レコードしか置いてなかった。僕が最近テクノにハマっているんだというと、あのこは細野晴臣のはらいそを歌う。僕とあのこは似ているようで少し違うといつも思う。分かってやっているんだ。それを全部見透かしているあのこは不思議な笑顔でこっちを見た。とても美人で歯並びが悪いが、その不揃いさがなんだかとても好きだった。そうしたある日あのこは突然、街をでると言いに来た。僕はただ手を振っていた。あのこの不揃いな歯を見ることしか出来なかった。何年かしてこの小さな街でも同窓会が開かれた。もう僕は20歳を越したところだった。あれから僕を含めたほとんどの人がこの街を離れた。久しぶりにハナの散歩に海へ向かう。この街へくるには2時間に1本の船と車が通る長い橋しか足がない。その不便さは20年ずっと変わらなかった。ハナは昔のようにはやく走ることをせず、舌を出して僕の横で海沿いに住む近所の人を見ていた。さっき、今日最後の船が来た。船着き場から人が数人降りてきていた。ひとり、こちらに来る。あれは、きっと、そうだ。彼女だ。もう何年ぶりか。彼女は僕の隣へやって来て、街を出てからのことを話してくれた。テレビで流れている新しい芸人が面白いとか、今見てるドラマのエンディングテーマの話とかをしてくれた。テレビは僕も一人暮らしの時に買ったけど、そんなことお構い無しに彼女はハナを撫でていた。街には来たけど同窓会には行かないと言っていた。じゃあ、どうして帰って来たのとは聞かなかった。最後の船はもう行ってしまったし、彼女はこの後どうするのかと聞いたら、迎えの車が来るからいいんだと言っていた。そうこうしている間に真っ黒のベンツが海沿いに止まった。彼だわ、そう言って彼女は車を見た。彼女はハナを撫でていた手を彼に向かって振った。あっ、と言って彼女はなにやらカバンの中を探っていた。これ、もう聴かないからあげると平沢進のレコードをくれた。彼女は立ち上がってさようならと言って車で本土へ帰った。彼女は笑っていた。とても美人で、歯並びもとても綺麗だった。彼女とのたったの2年が僕にはなん10年も前に思えた。ちなみに僕はこのレコードを大昔に買ったところだ。まあいいか、と思い僕は部屋にしまってある平沢進のレコードを片手に、潰れかけているあの中古のレコード屋へ行った。